【新歓】部員日誌2024 No.5
本日は藤井(新2年)です。
こんにちは、新2年の藤井です。
自分は都会の自然について思うことを書かせていただきます。読んでいただければ幸いです。
先日、合宿で小松を訪れた際に、車窓から田園風景を楽しみました。自分は福岡の出身で、大学から東京で一人暮らしをしているのですが、改めて都会の建物の高さは異常なものだと気付かされました。
その列車に乗っていた他の乗客さんがそのお連れさんに、このように言っていました。
「田舎に来ると自然が見られるのが良いよね。都会にはからきしないよね……」
花や月など、自然の中でも、「非自然的な」自然が好みでよくパワーをもらっているので、都会に自然が全くないというのは少し違った感じがしました。ですが、上述のような言説はよく聞かれます。真偽は如何なんでしょうか。この時にふと、自分の高校生時代を思い出しました。
受験期のある1日、少し受験勉強に疲れ、地元の川でも観ようと自転車をこいでいると、小学校の通学路に辿り着きました。そこで懐古されたのは、もれなく「遊び」に関することで、マンションの駐車場や駄菓子屋の前の狭い路地なども、サッカーやかくれんぼをした「遊び場」でした。子供の頃は遠くへ遊びに行くこともなかったので、遊び場が少ないながらどうにか探した結果なのだと思います。
思うに、このような精神、童心に都会の自然は宿るのでしょう。自然が少ないながらも、なんとか自然を探す心情にこそ、自然というのは見えてくる。満月があまりに美しい日でも、渋谷を歩けば、行く人々は空ではなく下を向き、顔を照らすのは、月ではなくブルーライト。それでいては自然も現れません。ビル群の間からの日の出、ふと駅を降りて見える月、大道路沿いに並んだ枯銀杏。自然も都会で形を変えながら息をしているのだと日々痛感することで、あらゆる自然がよりいっそう尊く映えるのだと自分は思っています。
この東大ハンドボール部への入部を考えているみなさん。ハンド部には多種多様な人がいますが、共通して、みなさんが入部してくださることを待ち望んでおります。時間がなくなるかもと迷っているのなら大丈夫。時間が少ないながらどうにかしようとするその心に、成果は自ずとやってくるから。